撮影日記 2004年5月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
  

 2004.5.31(月) リクエスト

「こんな写真を撮ってください!」
 というリクエストが、僕の場合、今の時期にとても多い。
 つい先日も、そんなリクエストが寄せられたが、今日はさっそくその中の1つを撮影してみた。アジサイとアマガエルのシーンだ。
 リクエストには見本の画像が添付されていて、そちらはアジサイの花に直接にカエルが止まっていたが、実際にはカエルはやはり葉っぱの上を好むので、僕は葉っぱの上のアマガエルを撮影することにした。
 僕は、なるべくリクエストには忠実に応えてきたが、これからは、僕のこだわりも大切にしようと思う。リクエストに応えつつ、自然なシーンを撮ろうと思う。
 ただ、こうして日記に画像を掲載してみて、もっとリクエストに応える方法があったな〜と反省もさせられた。僕は花をカエルのずっと後ろに配したが、カエルのすぐそばに花があるような状況で撮影すれば、花の存在感がずっと増すだろう。
 花の存在感が十二分に感じられれば、アマガエルが花の上ではなく、葉っぱの上に止まっていても、リクエストに応えたことになるのではないだろうか?

 さて、
「ホームページの日記の表示幅が1024ピクセルを越えるほど広くなり過ぎているから、ノートパソコンの人などは読みにくいと思うよ。せめて800ピクセルくらいが限度では?」
 と、昨日先輩から指摘を受けた。
 ところが僕のパソコン上では幅は580ピクセルに設定してあり、インターネットエクスプローラー上での見え方も580ピクセルにおさまっている。
 いったいどうしたことだろう?
 何かの操作の際に妙なことが起こってしまい、そのトラブルが、僕が使用しているウインドウズでは表面化しないが、先輩が使用しているマックでは表面化しているのかな?などと推測してみたのだが・・・。
 そこで、現在お使いのパソコン上で、この日記の表示幅が1000ピクセルを越えるような広さで見えている人がもしもいたら、パソコンの環境を教えてもらえないだろうか?

*撮影データ ペンタックスist*D/FA マクロ100ミリf2.8/ストロボ2灯

 

 2004.5.30(日) 曇り
 
 写真教室の講師を務めてきた。前日の天気予報は、ほぼ100%雨。
「雨の場合はどうしましょうか?」
 とスタッフの方からたずねられ、
「その場合は、室内で鉢植えでも撮影しましょう。」
 と伝えてはいたのだが、正直に言うと、
「それはくだらないな〜」
 と、自分が出した案でありながら感じていた。
 傘を差しながらでもフィールドに出るか?
 でも恐らくお年をめした方が多いだろうから、やはりみなさんの体のことを考え、室内で鉢植えを撮るか?
 しかし、室内で鉢植えを撮るといっても、撮影の時間が2時間もあるのだから、とても間が持ちそうにない。
 もしも写真教室の企画がボランティアであり、お金をもらわないのであれば、室内で撮って早く切り上げる手もあるのだが、お金をもらうことになっているので、それもできない。
「いっそうのこと、ボランティアの方が気が楽でいいな・・・」
 などと、昨晩から気にかかっていたのだ。
 だがどうしたことか、教室の時間が始まっても一向に雨が降る気配はないし、フィールドでの撮影時間が終わることにはなんと薄日が差し始めた。
 さて、今日は野外に出る前に、幾つか前置きをさせてもらった。
 趣味で写真を撮る人には、コンテストで入賞したくて写真を撮っている人と、自分が見た好きなものをもって帰る代わりに写真に収めたい人とがいる。
 そして、カメラを持っている人の9割以上が後者ではないかと僕は感じる。だから、
「今日の写真教室は、コンテストで入賞するための時間ではなく、散歩や旅行の際に見た好きなものを、写真として持って帰るコツを紹介します。」
 と伝えたら、多くの方がウンウンと力強く頷いてくださった。ここのところ、水辺のものばかり撮影するようになっている僕だが、今日は手当たり次第、花や虫を撮影してみた。 





 こうした企画は、正直に言うと、僕にとってはそれなりのストレスになる。
 だが僕は、持ちかけられた仕事は、たとえ不得手な仕事でも、基本的には断らないことにしている。
 写真のような仕事は、誰かに支えてもらわなければ成り立たないと感じるし、その支えてくれる方々が持ちかける仕事が、僕の好みに合うことあれば、そうでないこともあるだろう。そしてその場合に、自分が得意な仕事ばかりを取るのは、やはり身勝手であるような気がするからだ。
 写真教室の場合、人と接したり、写真を教えることが、面倒だったり辛いのではない。写真教室を開催するからには、その時間、
「あ〜行ってよかったね!」
 と感じてもらわなければならないし、楽しんでもらえるようにする責任が僕に生じる。
 僕はそうしたプレッシャーに大変に弱い性格なのだ。

*撮影データ ニコンD70/ マクロ105ミリ

 

 2004.5.29(土) 雨が・・・

 明日は写真教室の講師を務める予定になっているのに、雨が降りそうだ。雨の場合には屋内で鉢植えなどを撮りながら、植物の撮り方を説明する予定になっているが、その場合に、長い時間をどうやって過ごそうかと、思案に暮れている。
 もしも雨で人の集まりが悪く、スタッフの方の数の方がお越しになった方よりも上回った場合には、みなさんに外に出てもらい、スタッフの方に傘をさしてもらって、屋外で写真を撮るのもいいな!と思う。
 何度か書いたことがあるが、僕は雨の中での撮影が好きなのだ。
 九州は、もう梅雨入りしてしまった。カタツムリやカエルが活発に活動する季節だ。
 
 

 2004.5.28(金) 洗車

 僕は車に乗り始めて以来、これまでほとんど洗車をしたことがなかったが、最近は定期的に車を洗うようになった。3月に車が新しくなったからではない。デジタルカメラを本格的に導入して以来、車内の小さな埃がとても気になるようになったからだ。
 フィルムの場合、カメラの中のフィルムに埃が付着したとしても、フィルムは巻き上げに伴って移動をするのだから、いつか埃はどこかにいってしまうが、デジカメの場合、センサーにいったん埃がついてしまうと、すべての画像にその影が写り込んでしまう。そして、今のところその問題にちゃんと対応しているのはオリンパスだけで、僕が野外で使用しているニコンの場合は、埃の付着に細心の注意をしなければならないのだ。
 僕は取材の期間中にカメラの手入れをすることなどほとんどなかったが、デジカメになってからは、毎晩車内で眠る前にカメラのボディーやレンズを拭き、なるべく埃が侵入しないような手入れをするようになった。
 これまで僕が乗っていた車は数年分の汚れが蓄積していて、ドアをバタ〜ンと閉めたら、小さな埃がしばらく宙を舞うような状況だったので改めることにしたのだ。
 以前は、
「フィールドで使用する車を洗車だなんて、なんて軟弱な!」
 と固く信じ込んでいた僕だが、そうして洗車をしてみると、デジカメを持っているかどうかは別にして、やはり車内はきれいな方が気持ちがいい。特に窓は拭いた方いい。窓を拭くようになって以来、雨の日に車内が曇りにくくなった。
 時々、雨の日や寒くて窓が凍るような日に、
「なぜ僕の車だけこんなにひどく窓が曇るのだろう?」
 と漠然と疑問に思っていたのだが、
「なるほどなるほど」
 と強く納得させられた。
 
 

 2004.5.27(木) 写真教室

 ちょっと残念な出来事があり、フィールドに出るのを止め、代わりに体力的に楽なスタジオで撮影した今週だが、今日で4日連続してスタジオでの時間を過ごした。
 スタジオでの仕事の内容は、これまで苦心していた撮影で、午前中にその1シーンだけにチャレンジし、午後からは知人に会ったり、電話で話をしたり・・・、日頃の僕からは、まず考えられない時間を過ごした。
 あと1〜2日、そうしてゆっくり過ごし、30日は、北九州の山田緑地公園で写真教室の講師を務めることになっている。朝から出て行かなければならない。
 今回はデジカメで、僕が撮った写真をすぐに見てもらうようなスタイルになる予定で、内容は、ごくごく初心者向けに、主に植物などを手堅く撮るコツを紹介する予定だ。

 

 2004.5.25(火) 変わりたい

 先日友人が、昆虫写真の海野先生の写真展に出かけ、下のようなメールを送ってくれた。友人は、大学時代、僕と同じ研究室に属していた生物学の研究者だ。

 『昨日、用事で本郷の東大に行った帰りに、お茶の水まで足をのばし、海野さんの写真展をのぞいてきました。かっこいいムシにいっぱい出会えました。一番気に入ったのは、チョウの追尾の写真でした。5月はじめに星野さんの写真展をのぞく機会があったのですが、こんなに違うのだと、(あたりまえなのでしょうけど)改めて、感じました。』

 僕がハッとさせられたのは、海野先生と星野さんの写真展を見て、
「こんなに違うんだ!」
 と、友人が感じたこと。もしもその友人が僕の写真展を見たとしても、おそらく同じようには感じないのではないだろうか?
 こんなに違うんだ!と友人が感じたのは、海野先生や星野さんの写真が独自の世界を持っていて、強い強いメッセージを放っているからに違いない。
 僕に足りないものがそこにあることは、自分でもよく分かっているつもりだったが、友人のそうした反応から、僕がどこを目指さなければならないかが、より具体的に心の中にイメージできるようになった気がする。

 何をしなければならないか自分で分かっていても、それがなかなか出来ないことがある。変わりたいと強く思っても、すぐには変われないし、変わるには時間がかかる。
 でも、時間がかかっても、少しずつ変わろうとする意志だけは持っているつもりだ。
 人から見れば、それが全然形になってなかったり、時に道を誤ったり、足りなかったりすることもあると思う。そんな時は、とてももどかしく、寂しい。
 だが、もっと広く考えると、きっとその逆もたくさんあるだろう。
 人が変わろうとしているのに、僕にはそれが全然理解できなくて、身の回りの人をわかってあげられないことの方が、よりたくさんあるだろう。
 むしろ自分が変わることばかり考えているから、変われないのかもしれない。もっと人の気持ちを汲めれば、その時に僕も変われるのかもしれない。

 

 2004.5.24(月) あと一歩

 フィールドに出かけるか、それともスタジオで早めに撮らなければならないメダカを撮影するか迷ったが、メダカの撮影を選んだ。今日は撮影後すぐに小倉の現像所にフィルムを持ち込み、結果を見てみたが、あと一歩だ。明日も頑張ろう。
 
 恥ずかしい話だが、プライベートで残念なことがあり、食事が喉を通らなくなってしまった。今日、スタジオでの撮影を選んだ理由は、それもあった。昨日も今日も、朝少しパンをかじっただけ。食事も喉を通らないとは、がっかりした状態を大げさに比喩する言葉だと思い込んでいたが、本当に食べられなくなるのだ。
 お腹はすいているのだろう。時々強烈な吐き気が襲ってきて、体が何かを訴えようとする。
 そんな中、何をしていたら一番楽か?と言うと、それは撮影だ。シャッターチャンスを待っている時間はともかく、シャッターを押している時間だけは楽になれる。
 カメラを手にしたら精神を統一してシャッターを押すということの日頃からの繰り返しが、体に染み付いているのだろう。シャッターに軽く力を入れると、条件反射のようにスッと無になれる。
 なぜ写真を撮るのだろう?なぜただ見ているだけでは物足りないのだろう?と、時々自問することがあるが、何かを創作することは人の本能の1つなのではないか?と、僕は思う。
 その創作はある人にとっては記録・報道であり、またある人にとっては科学であり、さらに別の誰かにとっては美術のかもしれないが、とにかく何かを作ろうとすることで、心が安らかになれるのではないか?と、僕は感じる。

 

 2004.5.23(日) 一筋の光明

 手間取っていたスタジオでの撮影に、ようやく一筋の光明が見えてきた。今回は、メダカのある行動の撮影に苦心していたのだが、たくさんのメダカをひっかえとっかえ撮影していると、たった一匹だけ、その行動を頻繁に、しかもとてもきれいに見せてくれるメダカがいたのだ。
 生き物の行動の撮影には、そうした運の要素が、間違いなくある。苦心した撮影は大抵の場合、技術ではなくて、そうした偶然が解決してくれる。
 今日は、一応思い描いていた絵に近い写真が撮れたような手ごたえがあったが、もう少し撮影して、もっといい写真を撮ろうと思う。
 さて、少し心にゆとりが出たところで2〜3日フィールドで撮影して、完全にリフレッシュして撮影にとどめを刺したいが、先に仕事を片付けておいた方がいいような気もする。今晩検討してみよう。

 

 2004.5.22(土) 新しいレンズ

 スタジオでの撮影がうまくいかなくて無気力になっていると書いたばかりだが、これがなかなか重症で、かなり程度のひどい無気力症候群に陥っている。
 やはり仕事は甘くないのだろう。
 そんな中、ちょっと前に注文をしていた新しいレンズが届いたので、今朝はスタジオでの撮影の前に、試し撮りをするために、近所の神社へと出かけてみた。
 今日の画像は、いつも僕がカタツムリを採集する場所で、大きな楠木があり、下草が生えていて、放置された石の柱(画面右下)がカタツムリにとってちょうどいいミネラルの供給場所になっている。雨の日には、その石にたくさんのカタツムリがたかっている。
 今日は晴れなので、カタツムリが見つかるかどうか、あまり自信がなかったが、よく探してみると数匹が付近で休んでいた。
 中には楠木の幹のど真ん中にとまったままになっているカタツムリもいたのだが、下の画像の中のどこに写っているか、わかるだろうか?


(撮影機材の話)
 新しく買ったレンズはニコンの11-22/f4ズームレンズと、タムロン社製の28-75/f2.8ズームレンズの2本だ。ニコンの方はデジタルカメラ専用のレンズで、タムロンの方は、フィルムカメラにも使用することが出来る。
 今年は、昆虫写真の海野先生について、本作りを勉強する予定になっているが、なるべくならデジタルカメラでその本のための撮影をして、デジタルカメラに詳しい海野先生に、デジカメの特性やデジカメからの印刷の要領を教わりたかったので、ちょっと(とてもかな?)高かったが、無理をして購入することにした。
 ニコンの11-22の方は圧倒的に画質がいいと、評判がいい。
 タムロンの方は、ニコンのついでに思い付きで購入したレンズだが、標準ズームレンズの常識を覆したレンズだと評価は高い。
 何が常識を覆したかと言うと、値段と重さと大きさと性能のバランスだ。
 まず値段だが、ニコンの同格のレンズが実売で15万円以上するのに、タムロンの方は3万円台で買うことが出来る。それから重さが、ニコンが900グラム台であるのに対して、タムロンはおよそ500グラムと軽く、サイズも断然に小さい。
 そして性能だが、周辺光量や歪み具合はニコンの方が高性能だが、解像力はタムロンが上だと言われている。自然写真の場合、周辺光量やレンズの歪みはあまり関係がないので、僕にとっては、タムロンの方が魅力的に感じられた。
 タムロンの28-75ズームの描写は、絞りが開放付近ではいい意味で甘く、何とも言えず味のある描写をすると言われている。ある方が、
「もしもこの微妙に甘い描写が計算されたものなら凄い!」
 と、何かの雑誌の中に書いておられたが、なかなか面白そうだ。

*撮影データ-1 ニコンD70/ ニコン11-22
*撮影データ-2 ニコンD70/ タムロン28-75

 

 2004.5.20(木) 恐れていた事態

 僕が恐れていた事態が、現実になろうとしている。
 僕は車で寝泊りしながらの野外での撮影と、スタジオでの撮影が、一週間ごとに交互になるように計画を立てる。ところが、スタジオでの撮影はなかなか思い通りに進まず、しばしば、野外で撮影する予定の時間へと食い込んでくる。
 今年はそうならないように、確実にスタジオ撮影をこなす努力をして、また時にはスタジオ撮影の方を切り捨てる覚悟でシーズンに入った。やはり撮影は、野外でありのままの自然を撮るのが楽しいのだ。
 だが、企画の都合でどうしても撮らなければならないスタジオ撮影の中の何枚かが、先週一週間トライしても、思うような仕上がりにならないのだ。撮影したフィルムを現像してみると、許せない写真が数枚含まれていた。
 がっかりし過ぎたのだろうか?今日は全くやる気がでない。何を撮ろうと思っても、すべて上手くいかない。
「オイオイ、その程度のことで打ちのめされているのか!」
 と、自問自答してみるが、ダメなものはダメ。

「な〜んだ。そんなことか・・・どっちみち写真を撮るんじゃない!」
 と言われてしまいそうだが、僕にとっては重大なことだ。
 人の悩みや苦しみとは、大抵の場合、そんなものなのかもしれない。他人の目には、
「いいじゃない、その程度のこと。俺なんてもっと悲惨で・・・」
 としか映らないだろう。かといって、
「苦しいでしょう!頑張ってください。」
 と慰められても、それもまた何の足しにもならないのが辛い。たくさんの人に囲まれていても、とても孤独になる瞬間がある。

 ただ、こうして日記を書くことで、多少冷静になれることを今日は感じた。

 

 2004.5.18(火) 問いかけ
 さて、今日は、昆虫写真の海野先生から1つ問いかけがあった。僕は今、水槽を使用して魚の行動を撮影をしているが、
「そうして水槽内で撮影された写真を、生態写真と呼んでもイイのだろうか?違うのではないか?」
 という問いかけだ。
 その問いが、もしも生き物をスタジオで撮ったことがない人の言葉だったなら、僕は気にもとめずに
「魚は水槽の中で自分の意志で行動しているのだから・・・」
 と、サラッと流してしまうところだろうが、海野先生は、昆虫のスタジオ撮影を確立した第一人者なのだから、そうしたことをよく知った上での問いかけだ。言葉の重みが全然違う。
 僕の答えは、今の自分には分からないというものだが、これから先、スタジオでの小動物の撮影を続ける限り、常に心の片隅に置いておかなければならない問いかけだと思う。

「虫の世界からみた人の世界や、環境破壊などを写真で表現したい。」
 と主張するある写真家が撮影した写真を見たら、どう考えても、その虫を捕まえて、もしかしたら故意に弱らせた上で、手でそこに置いて撮影したに違いない写真だった。
 確かに、その虫は付近に棲んでいたものだろう。また、特殊な撮り方をしなければ撮れない写真だったから仕方なく・・・と面もあったかもしれない。
 だが、その写真が訴えようとしている内容を考えると、人が虫を移動させて撮影するのはおかしいのではないか?と僕は思った。
 アートとして、そうした絵作りをして遊びたいのなら、極端な話、何をやってもいいのかもしれないが、記録・報道的な要素を含む撮影で、疑念を持たれかねない手法はおかしいのでは?と感じた。
 だが、それは他人事ではなくて、小動物の撮影を仕事にする場合、僕自身にもしばしばついて回る問題でもある。例えば今日の画像の葉っぱの裏で休んでいるカタツムリは、僕が多少細工をして撮影したものだ。
 まず、カタツムリをアジサイの茎に止まらせておく。カタツムリは大抵茎を上に向かって移動し、そして気に入った葉っぱの裏側で殻の中に入る。僕は、しばらくして、カタツムリを止まらせた場所よりも上側の葉っぱを捜して撮影する。
 これは嘘だろうか?本物だろうか?葉っぱの裏側で休むカタツムリの性質を正しく伝えているのだろうか?それても、単なるヤラセなのだろうか?
 葉っぱの裏側に自分の手でカタツムリを止まらせ、手で体に触れば、驚いたカタツムリは胴体を引っ込める。その状態で撮影した写真を、
「休んでいます!」
 と見せれば、写真からは、本当に休んでいるのと区別出来ない写真が撮れるだろうが、それはやっぱり嘘だと思う。
 しかし、今日の画像の場合、カタツムリが自分で休む場所を探し、本当に休んでいるのだから・・・という思いもある。環境破壊を訴えるために虫を無理やりに置いた写真とは、全く違う次元だと思うが、正直に言うと、自分でも分からないのだ。
*撮影データ ニコンD70/ 105マクロ 

 

 2004.5.17(月) 

 先日、沖縄在住の自然写真家・湊和雄さんのホームページを見ていたら、現在開催中の、海野先生の写真展の際に撮影された画像が掲載されていた。
 それが実に楽しそうではないか!
 僕は、仕事の都合で上京を見送ったが、無理をしてでも行くんだったな〜と、羨ましくなってきた。

 その仕事に一昨日から取り掛かっているが、やはり僕が予想した通り難しい。あまりに上手く撮影が進まないので熱くなってくるし、このまま状態で締め切りが迫ると、精神衛生上良くないだろう。そうなってくると、やっぱり早めに仕事に取り掛かる選択肢の方を選んで良かったかな・・・という気にもなる。
 さて、その難しい仕事だが、唯一の救いは、撮影しようとしている現象その物は、水槽の中で何度でも繰り返し再現できることだ。
 ただ、その現象を分かりやすく、説得力のある写真に写すことが難しい。上手く撮れないまま現象だけが目の前で繰り広げられ、今の僕に考えられるただ1つの作戦は、毎日撮影を試みれば多少の偶然が重なり、いつかいい感じの写真が撮れるだろうという泥臭いゲリラ戦法のみだ。
 そうした撮影は辛い。

 撮影が上手くいかなくて熱くなり、それを通り越してドッと疲れが押し寄せてきた時に、以前僕が、
「徹夜が要求されるような夜の撮影が苦手だ。」
 と書いた際に送られてきた、ある先輩からの1通のメールを思い出した。
 メールには、
「私も夜は苦手です。私の場合は、昆虫の羽化など、いつ現象が見られるか分からない撮影の場合、この2〜3時間くらいの間に撮影をしよう!と山をはって撮影に臨みます。あとは、寝てしまいます。」
 と、書かれていた。さらに、
「以前に比べて、最近は山がはずれることが少なくなりました。」
 とも書いてあった。
 大変に細やかな写真を撮られる方の言葉だったので、僕は驚かされた。むしろ狙ったシーンは絶対に撮るという鉄の意志を持たなければ、あれだけの仕事は無理だと、僕は思い込んでいたからだ。
 だが確かにそうだ。何もかも自分の思い通り、計画通りに進むものではない。いい写真が撮れるときには撮影者の努力もあるが、もある。むしろ、本当にいい写真を撮りたければ、を大切にしなければならない。
 撮らなければならない写真は他にもあるのだから、あまり1つの撮影に固執せずに、1つ1つがあった撮影から片付けていけばいいではないかと、思い直した。
 
 さて、今日は先輩をまね、あらかじめ時間を決めた上で、一昨日から苦心している撮影を試みた。今日は、
「もしかして撮れた?」
 という手ごたえが、ほんの少しだけ感じられた。これで撮れていれば儲けものだが・・・
 現像してみよう。
 それからカタツムリの子供がたくさん生まれているので、数カット撮ってみた。ペンタックスのデジカメと撮ると、実にしっとりした、僕がとても好きな雰囲気になる。ニコンのD70は、とても気に入ったが、描写そのものは、ペンタックスが好きだ。

*撮影データ ペンタックスist*D/FA マクロ100ミリf2.8/ストロボ2灯

 

 2004.5.15〜16(土〜日) ちょっと疲れ気味

 今月の水辺を更新しました。今月は、トンボの写真を選びました。
 
 

 2004.5.14(金) 上京・・・?

 今晩から、何箇所か行きたい場所があり、上京しようかな?と、少しだけ心の中で準備を整えていたのだが、ちょっと前に急ぎの仕事が舞い込んできたので、迷いに迷った挙句、撮影をすることにした。
 行きたかった場所は、合計で3箇所。まず、僕が所属する日本自然科学写真協会の集まりに出ること。それから、昆虫写真の海野先生の写真展を見に行くこと。そしてあと1つ、僕がここ数年撮り貯めている渓流の写真を見てもらうために出版社に顔を出したかった。
 渓流の写真の方は、この1月にすでに一度写真を見てもらい、その時に、
「もう一度、ゆっくり話を聞かせてもらえませんか?次はいつ時間が取れますか?」
 と先方から声をかけてもらったので、早めに顔を出しておきたかった。
 海野先生の写真展は、数年前にも熊本で一度見た。その時もデジカメで撮影した写真をプリントした展示だったが、あれからデジカメがさらに進歩しているので、大伸ばしのプリントがどの程度のクオリティーになるのか、これもどうしても見ておきたかった。
 これだけ、どうしても顔を出したい用事が重なることなど、滅多にないがのだが・・・。

 依頼された仕事は、すべて僕が撮り慣れている生き物の撮影ばかりだが、それを承知で依頼された仕事なので、内容がなかなかヘビーだ。夜を大の苦手をする僕だが、
「「これは手を焼きそうだな〜2〜3日の徹夜を覚悟しなければ・・・」
 と頭がクラッときそうな絵コンテも、中には含まれていた。写真が本に使用されるのはずっと先のことだが、訳あって締め切りが早い。やはり、手堅く早めに撮影に取り掛かろうと、上京を諦めることにした。
 僕は1つだけ心に決めていることがある。写真家である前に、まず職人であることだ。手間やコストうんぬんの前に、十分に時間をかけ、いい仕事をすること。そして、そこに喜びを求めることだ。この点だけは、ずっと変わらずにいるつもりなのだ。

 

 2004.5.13(木) 水の表現

 僕が主に撮影している水辺の生き物の活動は、雨と無縁ではない。カエルやカタツムリは、雨に合わせて産卵をすることが多いし、梅雨時は一年の中で一番忙しい時期になる。
 多くの自然写真家は、
「今日は雨だからゆっくりしよう。」
 となるが、僕の場合は全く逆。
 梅雨の走りのような雨が、今日もまた降っているが、
「そろそろ忙しい時期が来るな!」
 と、気持ちが引き締まる。
 生き物だけでなく、仮に渓流や滝を撮影するにしても、その水量が写真の出来を大きく左右するので、雨が降って何日後に撮影をするかをよく考える。やはり雨の降り方と撮影が関連してくる。

(写真撮影の話)

 写真で水、特に動いている水を表現することはとても難しい。
 デジカメを購入して以来、たくさん動いている水の撮影を試みているが、三脚を構え全く同じ位置を、全く同じ条件で撮影しても、撮ったら撮った数だけ違う写真が出来上がってくるのだ。
 また、撮影の際のシャッター速度を上げると、動いている水がピシャリ止まって写るし、逆に、シャッター速度を遅くすると、水が糸を引いたように流れて写る。
 だから、どの程度のシャッター速度で撮影をしたら、人が見た印象に近い感じに写るんだ!などと、たまに写真雑誌が特集を組むが、僕は、全くナンセンスなことだと思う。。
 シャッター速度によって水の写り具合が違ってくることは、是非知っておいて欲しいが、人が見た印象通りに写るシャッター速度などというものは、そもそも存在しないのだ。
 もしも渓流に行く機会があれば、試してみて欲しい。
 ボ〜とどこかに座り、何となく渓流を眺めれば、水はまるで糸を引いたように流れて見える。
 だが、流れを注視して、見てやろうとしてみつめると、水の流れは止まって見えてくる。特に、日差しがある明るい場所で水を注視すると、ますます水の動きがとまって見えてくる。
 単に物の形を写したいのか?或いは、その場の空気も含めて写したいのか?全く同じ流れでも、その人が、どんな気持ちで水の流れを見つめているかが大切なのだ。

 僕の目に映る渓流の流れは、大抵は、サ〜と糸を引いたように流れて見えるので、低速側のシャッター速度が重要になる。
 ところが、デジタルカメラの場合、一般的に風景の撮影に使われるフィルムよりも感度が高いのと、物理的な問題があり、あまりレンズを絞らない方がいいという2つの理由で、低速側のシャッターが得にくいという問題がある。
 安心して絞って使えるレンズ、或いは、低感度に設定できるデジカメが欲しい。
 
*撮影データ-1 ニコンD70/ 60マクロ / 2倍テレコン
*撮影データ-2 ニコンD70/ 80-200f2.8
*撮影データ-3 ニコンD70/ トキナー28-70f2.8

 

 2004.5.12(水) カエルの歌

 撮影がいい結果に終わると、益々元気がでるもので、体調が悪かった昨日だが、夜は田んぼでカエルを探してみた。
 阿蘇の周辺は、そろそろ田んぼに水が入る場所が多くなっている。
 主に見られるカエルは、アマガエル、ヌマガエル、トノサマガエル、シュレーゲルアオガエルの4種類で、特にアマガエルとヌマガエルの姿がよく目立つ。

 シュレーゲルアオガエルは、声はたくさん聞こえるが、姿は少ない。トノサマガエルは、意外に鳴き声が控えめなので、鳴き声から姿を見つけ出すには、アマガエルなど他のカエルが少なくて、少しだけ静かな場所がいい。昨晩カエルを探した場所は、アマガエルの大合唱で、トノサマガエルの声を聞き取ることが出来なかった。

(写真撮影の話)
 フィルムの現像を待つ時間が一番楽しいという人が、少なくない。
 僕も、趣味で撮影をしていた頃は、確かにそうだったように思う。
「デジタルカメラになると、その喜びがなくなってしまうから嫌だ。」
 と言う人もいるが、カメラの液晶で見る画像と、パソコンの大きな画面で見る画像とは、かなり印象が違うので、僕は、パソコン上で、その日撮影した画像を見る時には、なんだかとてもワクワクする。
 また、ノートパソコンの液晶画面では、画像の色などが正確には見えないので、帰宅をして、事務所のブラウン管のモニター、画像を見る時に、さらにもう一度ワクワクがある。
 昨日のサンショウウオの画像は、撮影したそのままの画像を掲載したが、今日、事務所のパソコンで見てみると、なぜか全体に赤っぽい感じになっていることが分かった。その赤みを若干取って、再度掲載してみた。

 デジカメで撮影する時には、僕は、必ずRAWで撮影することにしている。
 JPGで撮影すると、カメラ内部のコンピューターが、コントラストを整えたり、シャープさを付け加えたりして、さらに、画像を軽くするために画像に圧縮を加える。
 それを、一切しないRAWという形式で撮っておいて、あとでパソコンにインストールしたソフトを使い、画像を圧縮せずに、より高画質に処理をする方法を取っている。
 ただ、RAWで撮影すると、画像に圧縮を加えるJPGと違い画像のサイズが大きくなるので、デジカメの動きが遅くなってしまう。その点ニコンのD70は、RAWで撮影しても全くストレスがないのでありがたい。
 サンショウウオの画像の場合は、昨日は、ホワイトバランスを標準的な太陽光で撮影した場合の5200Kに設定したが、今日は、それを4400Kまで落としたら、僕が見た感じに近い色合いになった。
 デジタル画像の色を、ソフト上で作り上げてしまうのは、僕の自然写真には合わないと思うが、ホワイトバランスを調節するのは、なかなか有効な手段だと感じている。
  
*撮影データ ニコンD70/ ニコン105マクロ/ストロボ

 

 2004.5.11(火) サンショウウオ

 ようやく天候が回復した。今日は予定通り、サンショウウオの撮影だ。
 今回撮影したサンショウウオは、分布が山間部の狭い範囲に限られているので、撮影するためには、山の中腹まで、登山道をかなり長い時間歩かなければならない。
 そんな撮影の時に限って、昨晩から、なぜかお腹の具合が悪い。僕は痩せているので体に蓄えがないし、何か体調不良があると、ガクンと体力が落ちるが、今日は足が異常に重たい。撮影現場にたどり着くまでに、いったい何度休憩を取っただろう?
 だが、車の中で休んでいても仕方がないし、マイペースで歩き、何がなんでも写真を撮り、撮り終われば、たとえ撮影がどんなに早い時間に終わっても、あとは好きなものを食べてゆっくりしようと心に決め、山道に入った。
 現場にたどり着くと、今年に限って、探しても探しても、その姿が見つからない。
「なんだかツキがないな・・・来るんじゃなかったかな?」
 と一瞬弱気になったが、ようやくたった一箇所だけ、卵が産みつけられている場所があった。付近に親の姿もあった。
 
 卵はかなり発生が進んでいて、ゼリー状の塊の中では、すでにサンショウウオの幼生っぽい姿が形作られている。
 サンショウウオの卵の右隣には、タゴガエルの卵も見られる。この場所では、サンショウウオの卵がみつかる場所からは、大抵タゴガエルの卵もいっしょに見つかる。
 
 それにしても、もしも、今回撮影したたった一匹のサンショウウオが見つからなかったら?とてもきわどい一日だったが、結果は悪くない。
 
*撮影データ ニコンD70/ ニコン105マクロ/PLフィルター ・ 60マクロ/ストロボ

 

 2004.5.10(月) 龍門の滝

 サンショウウオを撮影するために、山に登る予定だったが、昨日からの雨が残ったため、一日撮影を遅らせることにした。明日は、多分、天候が回復することだろう。
 代りに今日は、大分県まで足を伸ばし、滝を撮影することにした。
 今日の画像の滝は、夏になると子供達が滑り台代りに遊ぶことでよく知られている龍門の滝だ。
 他にも、大分県の九重町と天瀬町にある合計3つの滝を見に行ってみたが、天瀬町の慈恩の滝が、なかなかすばらしかった。
 ただ、残念なことに、滝の裏側に歩いていけるように、重機で工事をしている。せっかく見事に苔が生えている岩の一部を削って、そこに石畳の道を作っているのだ。
 そこまでして、誰でもが滝の裏側に回れるようにする必要があるのだろうか?せっかくの雄大な滝に、道をつけてしまうなんて・・・
 場所柄、そんなにたくさんの人が訪れる滝でもないだろう。大きいが、ひっそりとした滝なのだ。なんだか悲しい気持ちになった。
 お役所の人達に自然や景観について考えるセンスがないだけで、悪意はないのだろうが、すばらしい景観が損なわれて、しかも観光資源にもならないだろう。地方分権が叫ばれているが、自然はその土地に住む人だけのものでもない。誰かの一存では手を加えられないようなシステムにしてもらいたいものだ。
 でなければ、そうしたことに関してセンスのないたった一人のリーダーの手で、美しい景観が台無しにされてしまう危険性があるし、一度壊されたものは元には戻らないのだ。
 
*撮影データ ニコンD70/シグマ20ミリ/PLフィルター

  

 2004.5.8〜9(土〜日) シュレーゲルアオガエル

 雨の日は、カエルの活動が活発になるのでおもしろい。
 ただし、風景の撮影なら傘をさしながらでも可能だが、雨がたくさん降っている最中に動物を撮影するのは骨が折れるので、車の中に待機しておき、雨が弱まった時に撮影をすることにしている。
 今日は、熊本県のいつも僕が撮影をする田んぼの周辺で、カエルを中心に、水辺の生き物を探してみた。
 田んぼには、まだ水が入っていないが、周辺には何箇所か湧き水があり、その湧き水をためた小さな溜まりの周辺には、両生類の姿が多い。
 僕は、あちこち色々な場所を回るよりも、一箇所でじっとして撮影する方が好きだ。何かを撮影している最中に、ふと別のものに気付き、またそれを撮影しているうちに・・・と、連想ゲームのように撮影していくのが、僕には楽しい。
 水溜りは上の画像のように小さいが、それでも何だかんだで、一日過ごせてしまう。
 
 さて、僕は生き物の名前を憶えるのが、あまり得意ではない。
 名前は、一種の知識なのだろうが、知識よりも、その場で自分が見て感じ取れる事象の方に興味があるのだ。
 特に、不得意なのが植物で、写真を撮ったものの、名前を調べるのが面倒で、そのままになっているフィルムがたくさんある。
 だが、デジタルカメラで、葉っぱやその他の特徴をつぶさに撮影しておき、その日のうちに図鑑と照らし合わせれば、植物の名前を調べることも意外に楽しいと感じるようになった。最近は、車の中に小さな図鑑を積んでおき、一応名前を調べる努力をするようになった。また、少なくとも水辺の植物の写真は、一通りそろえたいと思うようになった。
 植物は逃げないので、動物を撮影していて間があいた時に、撮影する。そうして植物を撮影しようとカメラを構えると、今日は、茎にカエルがとまっているのに気付いた。アマガエルに良く似ているし、アマガエルっぽい状況だが、シュレーゲルアオガエルだった。

*撮影データ ニコンD70/シグマ15ミリ/105マクロ

  

 2004.5.7(金) もらい物

 大学時代の同級生が結婚をして北九州から四国へと引っ越すことになった。
「引越しをするのだけど、今まで魚を飼育していた水槽はいらない?」
 と声を掛けてもらったので、二つ返事で譲ってもらうことにして、今日は、飼育器具をもらいに出かけた。
 ありがたや、ありがたや。
 お相手は、四国の某大学の農学部に勤める研究者で、研究のテーマとは別に、趣味として昆虫が好きで、自宅には、昆虫コレクションを収めた部屋まで持っておられるような方らしい。
 普通であれば、昆虫部屋があると聞いただけでちょっと引いてしまうところだが、お互いに自然が好きなのだから全く何の問題もない。きっと幸せになるのことだろう。
 四国で撮影をする時には、是非お世話になりたいものだ。
 北九州から四国の愛媛までは、フェリーに乗れば意外に近いが、僕はまだ、四国には1度しか、それも撮影ではなくて石鎚山に登る登山でしか、行ったことがない。その登山も、やたらにきつくて、ほとんど何も憶えていないが、渓流の水の澄み具合がすばらしかったことだけはよ〜く憶えている。
 時々、あの流れを撮ってみたいな・・・と、考えることがあるのだ。

 

 2004.5.6(木) 失敗

 カタツムリの卵を白い紙の上で孵化させ、孵化の様子を見せる写真を撮りたいと、以前に書いた。
 その時に採卵した卵が、今日孵化を始めた。
 予定通り、孵化直前の卵を白い紙の上に置こうとするが、卵がもろくなっていて、すぐに殻が破れてしまう。丁寧に丁寧に扱うが、何度やってもダメ。孵化をひかえたすべての卵を試したが、たった1つとして、うまく紙の上に置くことができなかった。
 よく考えてみれば、当たり前のことではある。僕が撮影しているツクシマイマイの生まれたばかりの子供は、殻の直径が3ミリ程度しかない。そんな小さなカタツムリが、中でグルグルと回転しながら、自力で殻を破って出てくるのだ。孵化直前になると、殻は、とても小さな力で破れるようになっているのだ。
 そうしたことを良く踏まえ、何らかの工夫をして、また同じ撮影を試してみたい。実に簡単そうな撮影が、やってみると難しいことは良くある。
 代わりに、孵化を終えた、生まれたての子供を撮影したが、これが、なかなカワイイではないか。

*撮影データ ニコンD70/105マクロ/2倍テレコン/ストロボ2灯
  
 

 2004.5.5(水) 電池が・・・

 新しい物を持つと、大抵一通りの失敗をするものだ。
 今日は、この3月にニホンアカガエルの産卵を撮影した池に行ってみたが、撮影の途中でデジタルカメラの電池が切れてしまった。予備を持っていなかったのだ。
 つい先日まで、フィルムカメラとデジタルカメラとを別々のカメラバックに収め、2つのバックを持ち歩いていたが、それでは歩きにくいので1つのバックに収め直した。
 その時に、前のバックにバッテリーを入れたままにしてしまった。
 電池が切れ、カメラが動かなくなる直前の最後の一枚が、今日の画像だ。このあと、しっかり撮ろうとしたら、もうカメラは動かなかった。

 さて、池の付近で撮影をしていたら、今日は2人の釣り師が来た。ルアーを投げているので、ブラックバスを釣っているのだろう。僕の目の前で、小さいが一匹釣り上げた。
 池は、堰で仕切られた小さなため池で、ほとんど水が涸れかかっている。だいたい25Mプール程度の広さしか水が残っていない。上流からは、本来は小さな川が流れ込んでいるのだろうが、今は全く川の気配もない。つまり、上流からも下流からも、その池に魚が入ってくる余地はない。
 そんな場所にブラックバスを放流したらどうなるのだろう?
 大変に狭い池なので、そこにすむ生き物は、ほぼ食べ尽くされてしまうのではないだろうか?たかがため池かもしれないが、付近は、ニホンアカガエルとカスミサンショウウオの生息地なのだ。
 池の入り口に止められていた車からは、彼らが他県から付近の大学にやってきた学生であることが分かった。さらに、池はかなり奥まった場所にあり、たとえ地元の人間でも滅多に訪れるような場所でもないので、彼らが自分たちでブラックバスを放流した可能性もある。
 それは確証がないので横に置いておくが、その手の放流は、大変に気分が悪い。

*撮影データ ニコンD70/105マクロ/トリミング
  
 

 2004.5.4(火) カスミサンショウウオ

 つい先日、
「連休は人で溢れるので、自宅の付近の何でもないところがいい。」
 などと書いたが、実は内心、連休中に行ってみたい場所があった。
 なんだか日記を読んでくださる方々を裏切っているような気がして少しだけ気になっていたので、正直に書いておくことにする。
 宮崎県の大崩山に登る途中の渓谷で、アケボノツツジという木の花と沢の組み合わせで撮影をしたかったのだ。
 僕が予定していた撮影は大変にデリケートな撮影で、花の具合、天候、水量など、いくつかの条件が同時に整う必要があった。その条件が整うのを待っていたが、昨日〜今日は雨が降り、どうしても撮影に出かけることができない。
 そうこうするうちに、恐らく、もう花の時期が終わっているだろう。そこで今日は、変態をして上陸したカスミサンショウウオを撮影した。
 単にアケボノツツジのいい写真を撮るのであれば、まだ花を咲かせている場所があると思うが、沢との組み合わせで撮るには場所が限られるし、あの場所で・・・という候補地が必然的に決まる。年にほんの2〜3日しかチャンスはない。
 そうした面では、植物は、動物よりもシャッターチャンスをつかむのが難しい面もある。

 来週は、熊本である数の少ないサンショウウオを撮影する予定を組んでいるが、昨年撮影した時には、イマイチ、写真の出来が良くなかった。
 小型のサンショウウオに関しては、数人の写真家が撮影した写真をたくさん見ているが、陸上での姿を写した写真は、僕だけでなく大抵写真が良くない。
 黒っぽくてヌメヌメした被写体の撮影は難しいのだ。
 ただ、今年はデジタルカメラがある。その場で撮影した画像をチェックしながら照明の当て具合を工夫すれば、僕の目に映ったとおりのサンショウウオが写るはずだ。
 それでも、現地でベッコウサンショウウオを目の前にして、試行錯誤するのでは心もとない。そこで今日は、あらかじめカスミサンショウウオを撮影して、練習を積んでおくことにしたのだ。

*撮影データ ニコンD70/105マクロ/ストロボ2灯
  
  

 2004.5.3(月) 貝潜る

 僕は不器用ではないが、決して器用ではない。中の上くらいではないかな?と自分では思うが、生き物の生態を撮影する人の場合、いろいろな工夫が求められるし、器用であれば、ずっと世界が広がるのではないだろうか?
 例えば、昆虫の繭を一部を切り、中を覗きつつ撮影を試みるとする。
 器用な人が切った繭の切り口には自信が満ち溢れていて、
「切って中を見てみたい!撮影したい!」
 という、その人のワクワクまでもが、一枚の写真から伝わってくるものだ。写真が楽しそうなのだ。
 器用といえば、以前に、人間の舌を撮影したことがあるが、人の舌は、遺伝によって2つのタイプに分けることができる。舌を唇から突き出し、顔を正面から見たときに、舌をUの字型に巻くことができる人と、それが出来ない人だ。
 僕は、舌を巻くことができないが、その時撮影のモデルになってくださった方は、見事に舌をクルリと巻くことが出来た。自分が出来ないものだから、見れば見るほど不思議になった。
「器用な人がいるものだ!」
 と驚かされた。
「こんなのも出来るよ。」
 と、今度は突き出した舌を上唇にくっ付け、
「たらこ唇!」
 と、笑わせてもらった。失礼かもしれないが、何だかとても面白い顔になり、困ったことに、今でも何か真剣な場でその顔が思い出され、堪えるのが大変なこともある。
 たらこ唇の方は、やってみたら僕も出来た。
 今日は、貝が土に潜る様子を撮影したが、貝殻から出てくる貝の手が、まるで人の舌のようで、たらこ唇を思い出して、一人でニヤけてしまった。

貝が潜る様子は、淡水記にUPしてみました。

*撮影データ ペンタックスist*D/FA マクロ100ミリf2.8/ストロボ2灯
  
 

 2004.5.2(日) アサザの花

 「芸能人は歯が命
 というテレビコマーシャルが、以前あった。東幹久さんと高岡早紀さんが出演するコマーシャルだったが、なかなか印象的で、今でもよく覚えている。
 アパガードという、歯を白くする歯磨き粉のような商品の宣伝だった。
 そんな名前を覚えても仕方がないし、それだけのゆとりが脳の中にあるのなら、高校時代の受験勉強で発揮されて欲しかった。
 それにしても、コマーシャルの威力は凄い。

 芸能人は歯が命に因んだ訳ではないが、デジカメは手軽さが命と、僕はデジカメでは気軽に撮り、フィルムでは逆に慎重に撮影してきた。
 それを4月26日の日記から、デジカメでも、可能な限り気合を入れて撮影するようになった。 カメラを手にもって構えても十分に撮れる状況でも、三脚を立てられる場合は必ず三脚を使うようにして、ほんの少しでも質の高い写真を撮るように改めた。
 また、一通りのレンズを準備して、たまたまその時カメラに取り付けていたレンズで撮れるものを撮るのではなく、もっといろいろな被写体に対応できるように、カメラバックの中身も入れ替えた。
 そう変わった理由は、時代は完全にデジタルだと悟らされたからだ。
 もちろん、フィルムも645判を中心にたくさん使うが、デジタルでも積極的に、どんどん仕事をするべきだと考えるようになった。デジタルでしか撮れないものも、たくさんあると気付かされた。
 デジタルを否定する人もまだ多いと思うが、一眼レフタイプのレンズ交換式のデジタルカメラを持てば、恐らく、その人も、僕と同じように感じるだろう。特に昆虫や花の撮影が、デジカメを持つことで、断然楽しくなった。
 日記の画像も、その日の仕事をメモ的に撮るのではなく、しっかりとテーマを持ち一本筋を通して撮影することにした。日記らしく、そのシーズンで最初に見た物を撮ってみたり、季節を象徴する画像を可能な限り選ぶことにした。デジカメを持つことで、そんな目を養ってみようという気持ちになった。
 今日は、今年初めて、アサザの花を見た。

*撮影データ ニコンD70/105マクロ
  
 

 2004.5.1(土) 小さな湿原

 連休はどこも人で溢れるので、遠くに行くのではなくて、自宅の付近の何でもないところがいい。
 そう思っていたら、トンボの写真家・西本晋也さんから声をかけてもらい、今日は、北九州の小倉南区にある湿原で、トンボやその他水辺の生き物たちを探してみた。

 湿原と言っても小さなもので、ちょっとした田んぼか畑くらいの広さしかない。
 だが、上の画像の左手には池があり、右側からは小さな川が注ぎ込んでいる。柿の木が植えられていたり、量は少ないがレンゲが咲いているので、以前は、もしかしたら田んぼだったのかもしれない。
 湿原の周囲には、見事に整理された竹林があり、美しい。北九州は、有名な竹の子の産地でもある。ただ、この湿原は、年々乾いているのだそうだ。


 下の画像は、アオヤンマで、僕はトンボの名前がほとんど分からないので、西本さんが見つけ出し、教えてくださった。
 湿原の上空を旋回し、時々草の中にとまる。
 トンボを探して池の付近に立ち寄ったら、小さな黒い物体が大量に逃げ出すのが見えた。
 コオロギか何かの大群か?と思ったら、ヒキガエルの子供が無数に上陸しているところだった。
 信じられないくらいの数だ。
 機会があれば、ホームページの中で、その画像を紹介したい。

*撮影データ ニコンD70/シグマ20ミリ(上)・105マクロ(下)
  
  
先月の日記へ≫

自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2004年5月分


このサイトに掲載されている文章・画像の無断転用を禁じます
Copyright Shinichi Takeda All rights reserved.
- since 2001/5/26 -

TopPageへ